金糸雀の歌

---------------------------------------------------------------------------------

「愛しているなら側に置いておきなさい。私は後悔したわ。側に置いておかなかったことに。縛って閉じ込めてしまって、憎まれることに怯えて。側にいなかった。傷つくのが恐ろしかったのよ。でも、あの人を失うくらいなら、傷ついた方がましだった。気づいたのよ、後から。もう悔いしか残らない。馬鹿な話。だから、愛しているのなら、その手を離しては駄目よ」


 だから連れてきた、彼は言った。


 それからずっと、私は塔の中で生きている。私を連れてきた彼が、“赤薔薇”という特別な仕事をこなしていると知ったのは、ここへ来て一年も経った後のことだった。

 “暗殺者を暗殺する者”。

彼は暗殺者であった私の父を殺し、その手で私をここへ連れてきた。父が銀細工を売り歩きながらその傍らで暗殺に手を染めていたことを、私はずっと知らずに生きてきた。父を目の前で殺されて、赤薔薇の役目を知り、私は初めて父が何者であったのかを理解したのだ。彼に殺されたという事実。それが指し示すことはつまり、父が暗殺者であったということ。そして遅ればせながら私はもうひとつ理解した。父が何故暗殺になど手を染めなければならなかったのか。その問いに対する答えを、私は父の血を代償にして理解したのだ。

 父にはお金が必要だった。正確に言うのであれば、父は私のためにお金を必要としていたのだ。幼い頃に私が失った、私の声を取り戻すために、父にはお金が必要だった。それがどんなに暗いお金であろうとも、父は私の声を取り戻し、そして再び私にそれを与えてやりたいと願ってくれていたのだ。切実に。

 もしかしたら、父はその目的を果たして私に声を取り戻してくれていたかもしれない。私は父のしていたことなどなにも知らず、父の与えてくれた声で故郷の歌を歌ってきかせていたかもしれない。この、“赤薔薇”の守る国にさえ、足を踏み入れなければ。

 赤薔薇の存在を知らなかった父は、圧倒的な力量の差で、瞬きをする間に殺された。最後の言葉を発する余裕もなく、多分父が殺してきた誰よりもあっけなく、父は死んでいった。そして声を持っていなかった私はただ震えるだけで、赤薔薇のなすがままにこの場所へ連れてこられたのだ。

 何のために、と思うことは幾度もあった。最初は父が殺した人の家族がそうしたように、私も家族を殺した赤薔薇を憎んだ。だが、憎んでいても罵ることはできず、泣くにしても声を上げることができない私の憎しみは、父に対して申し訳なく思うほど、長く続くものではなかった。

 赤薔薇はその名前のように美しく燃えるような赤毛を、刈り込むようにして短くした体の大きな男性だった。暗殺者というよりも、その姿だけを見れば戦場で馬を駆る勇ましい戦士に見えた。薄い灰の瞳と、日に焼けた肌。大きな体をしているのに、とても静かに歩く。

 私を閉じ込めた塔に毎日のように通い、そして何をするでもなく、私と同じ部屋でじっと座り、夜には塔を囲うようにして建っている自分の屋敷へと戻っていく。父を殺され、塔に閉じ込められた当初の私は、彼との距離をなるべくとろうと努力した。彼もそんな私の抵抗、とも言えぬささやかな行為を察して、私に近づこうとはしなかった。しかし彼が私の元を訪れなくなる、ということは決してなかった。最後の時を抜いて他は。

 やがて憎しみや怒りが風化すると、私に残ったのは戸惑いだけだった。“なんのために”。それを知らないでいることはできなかったし、この閉ざされた世界で、それだけが唯一最大の疑問として、私が考えることのできる問いだったのだ。

 私は彼との距離を詰めることにした。私がそれを態度に示すと、彼は静かに歩み寄った。ずっと、それを待っていたかのように。

 なんのために?

私が与えられたペンと紙を使ってそう問うと、彼は育ての親に言い聞かせられたという言葉を私に語った。その体の運びと同じように静かな低い声で。


 だから閉じ込められるのか、と私は思った。


思った、というよりも唐突に何もかもを理解したと感じたのだ。だからそれ以降、私は彼を遠ざけることをしなくなった。この塔から逃げ出そうという気も、いっそ窓から飛び降りてしまおうかという考えも、私は持たなくなった。他人から理解されるような時間ではなかった、と考えてみることはできる。けれど私は確かに満足していたのだ。彼に閉じ込められるという状態に、幸福感さえ覚えていたのだ。

 塔で過ごした五年の間、私達の間にあったものが一体どんなものだったのか、私には分からない。楽しいお喋りも、言葉を紡ぐことさえ忘れさせる濃厚な愛撫もない。唇に軽く触れるだけのバード・キスさえも私達はしなかった。ただ喋ることのできない私に合わせるように、彼は私の手を、私は彼の手をとって短い言葉のやりとりを交わした。時々どうしても彼の声が聞きたくなった私が、何か話して欲しいと伝えないかぎり、私達の間に音はなかった。

 私を外の世界から完全に隔離する代わりに、彼は私に服も食事も、ただの商人の娘では一生得ることのできなかった類のものを与えてくれた。なにもかもが与えられるだけ。私は彼に何かを返すことはできなかった。私が持っているものは、自分の体だけだったのだ。けれど彼はそれを望まなかった。血に汚れた自分の手で、これ以上私を求めることは出来ないと言って。


 私達は一度だけ、同じベッドで身を寄せ合って眠った。その最後の晩に、私は一度だけ彼に子守唄を歌ってあげることができた。鳥のように高い美しい歌声ではなかったけれど、私の体が奏でる心音を耳に、翌朝彼はとても安らかに眠ることが出来たと言って微笑んだのだ。その微笑を、私はこれ以上なく愛しく思った。


 そしてその微笑を最後に、彼は二度と私の待つ塔へ戻ってこなかった。昨晩、「今日だけ、一緒に眠っても構わないだろうか」と硬い表情で私に許可を求めた彼は、翌日自分が死ぬことを感じていたのだろうか。それなりに訓練し、技術を身につけた暗殺者を上回る力を常に身につけていなければ、赤薔薇という仕事は続けられない。頼る仲間もいない孤独な役目だ。密かにこの国の人間を守るために、彼は静かに存在していた。

「先代からの伝言です。ここでのことは、一切忘れて欲しい、と」

 彼のいない昼間になど、私の食事を運んできてくれていた少年が私に彼の死を告げた。同時に、彼の仕事を自分が引き継いだことを少年は暗に示した。彼と違って、私に良く話しかけてくれていた明るい少年だった。てっきり彼の屋敷の使用人だと思っていた私にとっては、不思議なことに彼の死よりも、少年の正体の方が衝撃だった。

「嘘でも構わない。頷いてくれるだけでいいんです。赤薔薇の正体を知るのは国王と将軍のうち一人だけと決まっている。貴女が頷いてくれないと、僕は貴女を殺さなくてはいけない」

 新しい赤薔薇の言葉に、私は少しだけ悩み、そして首を横に振った。彼を忘れることはできない。ここで過ごした時間と、心から愛しく思った彼の微笑を忘れてしまうことなど、私にはできなかった。いくら彼がそれを望んでいたとしても。

 私の答えに、新しい赤薔薇は小さな溜息をついた。

「……今の言葉は先代のものです。僕から改めて言わせて下さい。ここでのことを忘れて欲しいとは言いません。ただ、一生貴女の心の中だけに留めておいてもらえますか? 赤薔薇の正体を、誰にも言わないと約束してくれませんか?」

 私のこだわりを理解してくれた少年の言葉に、私は微笑みながら頷いた。


「先々代がどういう方だったのか、僕は知りませんけれどね。結局、先代は一生貴女をここに閉じ込めておくようなことができる人ではなかったのだと思います。貴女に触れることさえ戸惑うような人だったから」

 私は少年に連れられて、五年ぶりに塔の外に足を踏み出した。連れられてきた当時にははっきりと見ることもなかった外の世界。私のいた塔を囲むようにして造られた赤薔薇の屋敷は、彼の髪に良く似た蔓薔薇の花で覆われていた。

「愛しているなら側に置いておきなさい。その先々代の言葉を実行してはみたけれど、貴女と過ごすうちに気付いたのでしょう。愛しているから、愛しいと想う人だからこそ、一生籠の中に閉じ込めてしまうようなことは、自分にはできないと」

 私は新しい赤薔薇の城となった屋敷を通り抜け、用意された馬車へと乗り込んだ。私の閉じ込められていた塔は見る間に遠ざかって小さくなっていく。

「とても不器用な人でしたよ。貴女にはきっと、愛している、の一言も残さなかったでしょうね」

 私はそれに小さく頷いた。言葉の代わりにはならないけれど、と少年は苦笑して私に説明した。私はこれから、生前に彼が用意してくれていた王都の小さな家に住むことになるのだ、と少年は言った。一生慎ましく生活するには困らないお金も用意してあるし、私が望むのなら、父がしようとしてくれていた私の声を取り戻すための治療費もあるという。

「あの塔は、閉めてしまおうかと思っています。そして唯一の鍵は海に捨てて。この考えを、貴女はどう思いますか?」

 私は微笑むことで少年の考えに賛同の意を表した。あの閉じられた空間は、きっと時を止めて私と彼だけのものになるのだ。他の誰にも覗かせない。私の想いは永遠にあの場所に残される。

 私と少年は密かな共犯者の笑みを有して、港まではそれ以上何も喋らなかった。やがて馬車が止まり、先に下りた少年に手をとられて、私は馬車の外へ出た。ずっと薄暗い塔で生活していたせいだろうか。太陽の光を浴びて輝く海に、私は一瞬目が眩んだ。強すぎる光に目を細めた私を見て、少年は彼を思わせる静かな口調で私に言った。

「貴女は黄金に輝く鳥だった。鳥には翼があるから、あの人は自分の元から飛んでいってしまわないように貴女を閉じ込めてしまおうと思ったんでしょう。けれど鳥は空を飛ぶものだと思ったから、閉じ込めて自由を奪うことが心苦しかった。閉じ込めなくても、閉じ込めても後悔するなんて自明のことだと思うけれど、先々代はそこまで考えてみたのかな」

 私は新しい赤薔薇の、まだ幼さの残る瞼にそっとキスをした。

「突然閉じ込められて、また唐突に自由にされる鳥の気持ちを、あの人は訊いてみるべきだった。そうは思いませんか?」

 彼にそうされていたら、私達の関係はもっと別のものになっていたのだろうか。正直言えば、私は彼に触れて欲しかった。父を殺した手。確かにそれは事実だけれど、私の髪をそっと撫でてくれた手もまた、同じ手だったのだ。キスもしたかった。お互いに愛の言葉を囁いて、そう、できることならあの塔で一生彼の腕の中にいたかった。同じ朝を迎えたあの日のように、毎朝彼に歌を歌ってあげたかった。そんな私の願望を、彼は知らずに逝ってしまった。

「さようなら。もう二度と会うことはないでしょうね。……お幸せに」

 私を船に乗せて、少年は港から小さく手を振った。私は甲板から彼に手を振り返した。もう二度と、私がこの島を訪れることはないだろう。幸せに、という言葉はきっと彼の言葉だ、と私は思った。ここでのことは一切忘れて、誰か他の人と結婚して、声を取り戻し、幸せになって欲しいという彼の言葉だ。

 けれど貴方は何も言わなかった。自分の口からは何も。

だから私は何も知らないふりをする。誰にも彼との時間を話さない。私はこれから一生、誰のためにも歌うことはしない。声はないままでいい。幸せなど、あの塔に置いてきた分だけで十分だ。ここでのことは何が起こっても忘れない。

 縛って、閉じ込めて。
 けれどそれで貴方を恨み、憎み続けるような相手かどうか訊いてみて欲しかった。


 籠の中の自由しか望まない鳥だって、いたはずなのに。

■ブラウザのBackボタンでお戻り下さい